『THE HAPPINESS OF ONLY ONE DAY.』
「それじゃあね、珊瑚ちゃん。明日、お土産にご馳走いっぱい持ってくるから!」
半妖の少年に荷物を持ってもらい、普段よりいくらか身軽そうなかごめがにっこりと笑む。きっと、今、彼女の心の中は、これから少年と過ごす“くりすます”とやらへの期待と喜びで溢れているのだろう。
「うん。楽しんできてよ、かごめちゃん。こっちはとりあえずカゼひいたりしないようにしとくからさ」
珊瑚の言葉に、かごめがさっきとは違う笑顔を作った。
「何ムードのかけらもない事言ってんの!あのね珊瑚ちゃん、あたしの世界ではクリスマスに家族や友達とは過ごさない人も…そうねー…半分くらいはいるのよ?」
むーどとはいかなるものだったかと、違う意味でぽかんとした珊瑚に向かって、かごめはにやっ・としてから言い放った。
「その人たちはね、恋人と一緒に過ごすの!だからクリスマスって、恋人いる人たちにとっては大事な日なんだから!!」
ますますぽかんと、口まで開けてしまった珊瑚を見て、かごめはくすくすと笑い、そして首だけこちらに向けたまま足を井戸の端にかけた。
「じゃあね、珊瑚ちゃんっ!がんばってねっ!!」
「へ?」
珊瑚の言葉も待たずして、緑色のセーラー服は井戸へと消えてしまった。
頑張るって、何を頑張るんだろう。
そんな、なんとも間の抜けた珊瑚の疑問を残して。
かごめが井戸をくぐってから約数分。そういえばいつも隣にいるはずの法師がいないのに気付き、そして少し前に村娘と彼が喋っているのを目撃した事を更に思い出して、むっと眉をひそめる。だが、その胸に渦巻く想いは、ほんの少し前までとはまた違う意味で複雑であった。
―――約束は、してくれたけど。
―――守るには、条件がありすぎるんだ…。
いったんは村に向かいかけた足を、森のほうへと向け直した。
一体どこへ行ったのか。
捜している姿は、見当を付けていた井戸までの道のりでは見つからなかった。もう、目の前に井戸がある。
「…これじゃ、七宝の言うとおり、三下り半くだされたみてーじゃねェか。」
軽く頭をかきながら、苦笑混じりに一人ぼやく。
彼、弥勒は、ほんの少し前まで、七宝から説教らしきものを喰らっていたのだ。
珊瑚をあれだけハッキリ口説いた後だというのに、いつまでそんな娘どもの尻を追い掛け回しているつもりだ、と。
悪びれもせず大きな声でそのようなことを当の“娘ども”の目の前で言ってのけたものだから、どちらみちその場にはいられなくなってしまった。
(しっかりせんと、そのうち珊瑚のほうから三下り半下くだされるぞ!)
幼いわりになかなか言葉は知っている。そう心内で感心したものの、やはり考え方は幼いな、とも思う。
「…てっきり、かごめさまの見送りに来ているかと思ってたんだが……。」
こんなことなら自分も付いていっておけばよかったか。そんな思いが頭をよぎる。
かごめが井戸の向こうに帰ることなど、もうお馴染みのことだ。
増して、今回はクリスマスとやらの為に犬夜叉が付いていく。自分まで見送る必要はあるまい、と、弥勒は村をうろうろしていたのである。
が、七宝のおかげで村娘にはもう近づけそうになし、しょうがないので楓の小屋に戻ろうとしたとき、かごめの言葉が蘇ってきた。
“クリスマスってね、特にカップル――あ、恋人同士の事ね――にとって、大事な日なのよ。だから―――…”
ふうわりと柔らかい笑顔。あの半妖の少年は、この温かさに魅せられたのだろうか。
“珊瑚ちゃんを、もうちょっと安心させてあげて?”
それで、弥勒はこうして珊瑚を探し始めたのだ。
だけど、本当は。
かごめにもただ微笑って誤魔化したけれど、…心の中で、ずっとずっと同じことを呟いていたんだ。
そんなことは、できません。
その「後」を保証する自信が、ないんです―――……と。
暗い木々の隙間から覗く曇り空をぼんやりと見上げ、なんとはなしに足を進める。たいして広くもない森だし、道はある。迷いはしないだろうとたかをくくって行く先も考えずに歩いていた。退治屋としての自分の腕を信頼しているということもある。
だが、心の芯は身体のようには鍛えられない。
かごめの言葉も、数日前に法師に言われた言葉も、ふわふわ浮かんでは消えていく。どれも確かな重みを持ってくれない。あるのは、いつまでも消えそうに不安定な甘い幻想、そして期待だけ。
ふと立ち止まって自分の吐く白い息を見つめていると、失くしたものが脳裏に浮かんだ。過去の残影。戻らない。
けれど、焦がれて已まない大切な。
「…父上――…」
青くもないのにどこか凛とした曇り空。そこへ立ち上る白い息は、二尺もいかないうちに消え入った。
「…明日は、こんなにも不安なものなのですか――?」
あの日、地面に点々と散らばった、赤い滴。
どろどろ、どろどろ、心の中まで染み付いて、消えない。
ああ、今日、今、この地面に染み入っている滴は、透明だ―――。
それが涙と呼べるのかどうか、彼女には分からなかった。
涙って、もっともっと人間らしい物じゃなかったっけ。
今私が流しているものは、ただの水。液体。
なぜ流しているのか、なんのためのものなのか。
分からないし、その答えなんか無いんだろう。これはきっと、自分という器から漏れ出した、機械油のようなものだから。
彼女は、泣いていた。
木々の生い茂った暗い森の中、ほんの少し緑が少なくて明るい、小さな陽だまりで。
ようやく、弥勒は珊瑚を見つけた。
「…骨の折れる……。」
軽くため息をついたあと、声をかけようと近づいた。が、様子のおかしいことに気づき、はたと止まる。
もう珊瑚の間合いに入ったはずなのに、彼女が一向に気づかない。ただ下を向いて、微動だにせず立っているのだ。地面には小さな染みが、ひとしずく、ふたしずく。
それが涙だと気づくまで、そう時間はかからなかった。
何があったのかは知らない。
特に自分が何かをしたという覚えはない(村娘の件は別である)し、ましてや人の心が全て分かるなどとは――例え、相手が誰より大切な人だとしても――思っていないから、理由を探ろうとも思わない。
ただ――自分に、出来ること。
どうしても、何かしてやりたいから。
一歩踏み出しながら、頭のどこかで自分を笑ってみた。
―――自己満足、と言われるかもしれないぜ?
だが、逆に笑い返してやる。
だって、これが「愛したい」ってことなんじゃねえのか?
増えていく地面の染みを見つめながら、珊瑚は頭に浮かぶもの全てをぼんやりと受け流していった。
父の笑顔。
その喉元から飛ぶ血しぶき。
琥珀。
か細い、消え入りそうなその声。
里に並ぶ無数の墓、墓、墓。
暗くよどんだ瞳の琥珀。
血にまみれた鎖鎌。
新しい仲間達の温かい笑顔。
法師の笑顔。
ああ、全て忘れてしまいたい。
忘れてしまえたら、どんなにか楽だろう。傷も、それを癒す包帯も、なにもかも。
いっそ、忘れてしまえたらいいんだ。
何もかも、忘れて―――……
ふわり。
突然自分を覆った感触に、思わず視線を上げた。
上には、何もなかった。だが、目の脇に、見慣れた紫の布地が見える。
「……法師、さま?」
後ろを振り向くと、袈裟の無い法師が立っていた。いつものように、笑っている。
「風邪、ひきますよ。」
それでやっとまともに、自分に頭からかけられた袈裟へ目をやった。見た目よりもずっと丈夫で防寒性のあるそれは、冷え切っていた珊瑚の体をほんの少し寒さから開放してくれていた。
「お前、ずいぶんと遠くまで来ましたね。もう森の真ん中くらいには来てますよ」
その笑顔がなんだかいつもよりずっとまぶしく見えて、珊瑚はほんの少し目を細めた。かすかに、心臓の音が大きくなる。
「…行きましょうか。早くしないと、真っ暗になっちゃいますよ」
返事はせずに、袈裟を力いっぱい握り締めた。それで初めて、指先が真っ赤になってかじかんでいるのに気づく。
袈裟ごと口元に持っていくと、逆に唇は火照っていて、指がとても血の通っているものとは思えないほどに冷たく感じられた。
どくん、と、また心臓が波打つ。
「……珊、瑚?」
弥勒の声が、遠くに聞こえた。
どちらが、本当の私ですか。
この、血の通った、熱い唇?
この、氷のような、死人のような、指先?
誰か教えてください。
誰か。だれか。だれ、か――…
「珊瑚。」
混乱し始めた感情を、呼び止める声が、した。
明らかに、珊瑚の目の焦点が狂い始めていた。
口元に持っていった手はきつく袈裟を握り締めたまま。目がぼんやりとして、自分のことも周りの景色すらも見ていない。見開いたまま、新しい滴が滲み始める。
危ないと、思った。このままだと、彼女が壊れてしまう、と。
だから、呼んだんだ。
しっかりと、彼女の名前を、俺の声で。
「珊瑚。」
瞬間、彼女が“戻ってきた”。きょとんとして自分を見ている。
「―――…駄目ですよ。」
ゆっくりと丁寧に、握られた拳をほどく。あんなに頑なに閉じられていたのに、そっと触れるだけで簡単に解けた。
「こっちの“答え”だって、まだなのに――…」
彼女の右手は、氷のように冷たかった。だが、血は通っている。
「一人で考えて、そのままいってしまうなんて――…」
両手で覆ってやると、少しずつだが温かくなり始めた。覆ったまま、珊瑚がしていたように、口元へ持っていく。まだ温まり切っていない彼女の指先は、ひやりとして心地良かった。目を閉じる。
「―――…ずるい、です。」
――…ああ、彼女が、此処に居る。
再び見えた法師の顔は、いつになく真剣に見えた。
真剣、と言うのは間違いかもしれない。悲しいような、寂しいような。
途切れ途切れに、何かを言ってくれている。その言葉に違わず、その瞳は自分に向かってひたすら言っていた。
消えないで。
ここにいて。
彼の手が触れると、不思議に手の力が抜けた。静かに、ゆっくりと、両の手が覆う。彼の手は温かすぎるくらいに温かかった。その温もりが、痛かった。自分の手はこんなにも冷たいのだから。
まるで、血が通っていないみたい。
そんな手と、この温かい手は、あんまりにも違いすぎて――…痛いんだ。
再び俯きかけた時、はっと気付いた。
自分の手が突然、火照り始めたことに。
心臓の鼓動に合わせて、熱の波が指先までうねっていく。
ああ―――……あたしの手にも、血は通っていたんだ。
さらさらと、何かが、流れ落ちた。
珊瑚の目に、懐かしい普段通りの光が戻って来た。
それを見て、やっと弥勒も顔を和らげる。手をそっと降ろし、もと来たほうへ向き直った。
今は、これ以上近づくわけにはいかないと思ったから。
以前に言った言葉のとおり。
全ての荷物を降ろすまで、「約束」は果たせない。
「……行きましょう。七宝も楓さまも待ってま…」
そこまで言った時、袖を引っ張る気配に気付いて、振り返った。
「……珊瑚?」
袈裟を被ったまま、彼女は俯いていた。表情は髪に隠れて見えない。
長い沈黙の後、小さい、ともすると聞き逃してしまいそうな声で、珊瑚が喋り始めた。
「あの、さ。一つだけ、聞いてもらっても、いいかな。」
なんだろう。弥勒には、見当も付かない。
「…なんです?」
言うか言わないかのうちに、胸に、ぬるい重みが加わった。
「ほんの、ちょっとだけで、いいから。」
ちら、ちら、ちら。
白い、柔らかな雪が、舞い始めていた。
向けられた背中を、無意識の内に手が追いかけていた。彼が振り返る。
ああ、名前を呼ばれた。心臓が、今までの比でないくらいに、高鳴って――……
…気が付いたら、距離は無かった。
ほんの、少しでいいんです。
今日だけ、今の間だけ。
あたしを支えて。
二人の距離を、縮めて。
いつの間にか袈裟が滑り落ちていた。開放された手で今度は法師の黒衣を握り締める。
ぴったり頭をくっ付けると、彼の鼓動が聞こえた。珊瑚のものよりほんの少し早いリズム。遠いようにも聞こえたけれど、近かった。
ゆっくりと彼の手が背中に回ってきたのが分かる。さっきまでよりも少し温かくなった。本当に少しずつ、力が込もってくる。どこかためらいがちに、だがしっかりと。
頼りなく揺れていた心が、落ち着いてくるのを感じた。
さっきまでよりもずっと、彼女を近くに感じる。ずっとずっと、本当に近くに、すぐそばに。
距離はない。
今日限りの、今だけのこの距離、この温もり。
いつか、永久のものになればいい。
やっと少しだけ腕の力を緩めると、珊瑚が小さく声を上げた。
「あ。」
「なんです?」
今までずっと自分の着物を握り締めていた手が、ふっと空を仰ぐ。
「雪、降ってたんだね。」
「ああ…。」
珊瑚につられて、弥勒も天を仰ぎ見る。いつの間にか闇の広がった空から、ふわふわ、ふわふわ、絶え間なく舞い降りる。
それから、長い長い、だが悪くはない静寂が、始まった。
ただ無言で雪を眺める、二人の頭上。雲の切れ間から、わずかに漏れた月光がきらめいた。
月の光。
白い雪。
蒼い闇。
一日限りの、幸せ。
いつか、永遠になる日まで。
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意外というかなんというか…「すすきのうた」の方がこれよりはいくばくかマシな気がしました(汗)
やばいー恥ずいー恥ずいよ――。「すすきのうた」より後に、同じ企画「月慕情」さまへ投稿したのですが、その間に原作弥珊がプロポーズまでいっちゃったので…その影響で前作より甘々なんですね(笑) でもなんか勝手が分かってない感じする…!(再び笑)
しかも衝撃の事実、このころは章と章の間を+でライン作って分けていた!(ぇ) 今なんかスペース空けまくって分けてるのに…。こっちの方が「間」が表現出来るかなーと思ってのことなんですが; 昔を思うと今ってホントに行間長いよな…ちょっとだけ反省して、一つの章の中はなるべく詰めるように(最近は(極々最近は;))してるんですが。。
しかし何より勝手が分かってない感じのするのはタイトルです。…合ってんの?合ってないの?英語ってなんだ〜!(ぇ